チャンの祈り  息子への想い

kumamoto

2007年07月08日 18:00

(1982年)
 12月19日
 チャンは、決して本件の真犯人ではない。チャンが今まなじりを決して一歩一歩進んで
いる道は正義で唯一のものであり、今生の人間の尊厳を守る正しいことであるがゆえに、
わが息子であるお前も父を理解しなければならないのだ。とは言っても、この身捕らえら
れたゆえとはしても、お前を育てる事もできなかったこの父を無条件で信じなければな
らないなどと無理強いする考えは毛頭ない。だがお前は私の息子であった。血を分けた親
子の間柄である以上、父が直面している社会的状況と厳格な歴史の事実を凝視し、清く正
義に立たねばならない。恐らく悲しみのみ多い世間で、後指を指されながらもひたすら耐
え、お前は育った。それゆえ、人間対人間の、いや、親子としての関係さえも放棄抹殺さ
れなければならなかったのかも知れない。確かに親子としての関係としては、単にお前を
もうけ、生んだ父としてあり、お前を立派に成人させる何の力も持ちえぬ現状は、世の親
として痛恨事であるという活字の上での責任を感じているに過ぎないのかも分からない。


 お前は、この世に生まれて間もなく世の荒波にさらわれた。世間の酷と厳しさを体で知
るために生まれた一つの悲しい星だ。だからお前をはぐくんでくれた暖かいお婆さんの心
と学園だけがお前の学びの場であったと思ってはならない。差別を持って罪なき人間を縛
っているこの世代の誤解のなか、お前も一度だけ来たことのあるかんごくのほこりと汗ま
みれのなかで、不断に身悶えているチャンの生命、その生命の尊厳は何であり、その最大
の願いは何であり、今日どのように打ち砕かれているか、あるいは今後はどのように実を
結ぼうとしているのか、どのように花咲かせ実を結ばせなければならないか、こうした課
題、問題意識を袴田巌を救う会並びに袴田巌救援会の現実からくみ取っていかねばならな
い。そしてこれと真向から取り組んで生き貫く人生こそ、人間として偉大さの成就が保証
されるのである。私は今度の濡衣でお前の面倒をみてやることができなかった。本当にす
まなく、悔しくてならない。今も痛烈な無念で肌あわだっている。そして誤判による死刑
判決という恐るべき呪われた姿で、緊張と危機にさらされた哀れな市民の姿をお前に直接
的にみせたという点においては、これこそ父たる私が全身全霊で示すことができた、唯一
最大の教育ではなかったか?

袴田巌さんの獄中日記です。 
多くの手紙がご家族、友人知人のもとに届けられ、確定後も、生きる証として、また、無実の証として、毎日の日記がご家族のもとに届けられている。

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