裁判官に間違いはないのでしょうか?裁判官の良心とは? 袴田事件を通して、日本の問題点を私なりに日記にしたいと思います。

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2007年07月20日

裁判は、人を見ながら裁く事

長らくお休みしました。 今日からブログを再開します。

 私は、平成19年1月28日、袴田君の実姉、袴田秀子さんと初めて会うことが出来、私なりの謝罪をし、今後の彼の無罪放免の為全力を尽くし、あらゆる協力を確約した。 しかし、意の足りなさを痛感していたので5月30日あるテレビマンの助力により、浜松市内の秀子さんの自宅を訪ねることが出来、二人だけで、やっと会話をする事が出来た。 そして、彼の逮捕前後の事情を初めて聞く事が出来た。
 彼のこの事件の事情について最も大事な事情については追って詳しく述べることにするが、この時の秀子さんとの約30分ほどの会話で40年余りの私の思いがようやく「実り始めた」という貴重な経験をして福岡に帰る事が出来た。

 そして、つい先日の7月1日、彼が収監されている東京拘置所に面会に行ったことは周知の通りである。

面会出来れば第一審判決当日以来40年ぶりに事を期待していたのだが、残念ながらそれは叶わなかった。 ただ、その日の事で私にとって記憶に留めておくべき重要な事がある。
 それは、姉 秀子さんが巌さんに「熊本さんが一緒に面会に来ている」「熊本さんて覚えてる?」と尋ねると、「知ってるよ、あの人はいい人だった」と答えたという。 
 私にとっては一審当時の審理の状況、特に私と彼の取調べにあたった2名の松本取調官と質疑応答をよく聞いていた彼の態度を思い出し、強く胸にせまる思いがした。。。

 私は、刑事裁判官になってから先輩の教えに従って「法廷では人の態度を見る事」を第一として審理に望んできたが、袴田君の審理に関しても同様にそうした。 否定している彼の行動・動作については特に気をつけ、彼の目の動きについては神経質すぎる程、気を配っていた。 そのため、メモに集中していた2人の裁判官からは、嫌味(メモを取らない手抜き)を言われる事もあった。 彼の方も、私が主任裁判官である事が分かっていた様で、私の法廷での一投足に全神経を集中させていた様子がはっきり読み取れていた。
 このような関係の中での40年だったので、私がどんな人間かは彼なりに評価していたのではなかろうか・・・・・こんな思いをしながら福岡に帰った。

 裁判、特に刑事裁判では「人を見ながら裁く事」が基本である事は、時代が変わっても変わることがないと私は思っているが、今後、もし裁判員制度が取り入れられたとしても、この事だけは後輩達に残しておくべきであろう。 そして「人を裁くことは人に裁かれる事」 でもあるという事を。。。
 

   


23:00を裁判は、人を見ながら裁く事 at 23:00Comments(4)袴田事件

2007年07月10日

こわれたグライダー

(1981年)
 11月8日
 人間の不幸、災いなどというものは、何の予告もなく訪れるものである。突然にすべて
のものが私の前から閉ざされてしまった。そして、自分のなかが置き換えられてしまう。
この日以来、世の中のものが陰気に恐怖を与えながらせまってくる。
 代用監獄の拷問場は黒のカーテンが引かれて昼なお薄暗くムシ風呂の如く暑い。突き飛
ばされて窓辺のカーテンに触れた。わずかな隙間から外を見た。確かに明るいと思った。
よく見ると視界全体が真っ赤だ。非常なはげしさでなにかが私の頭と体を打つが、然し感
じは薄い。麻ひしたのならこの際有り難い。並みの激しさではなくて、身体が無闇にそし
て不意に飛ぶのだ。こわれたグライダーを一瞬連想させた。舞い上がるが直ぐに落下する。
その間にも罵声が響いている。デスクにしがみつくとそこの顔が泣いていた。権力を持っ
た無能の暴団がいつものように凄んでいる。時としてそれはふざけているようでもあった
が、決して楽しそうではなかった。以前はいつもとてもたのしげに私の所にきた刑事は、
私に背をむけとても哀れな目つきで私を見つめた。
 調室の壁に絵がかけられていた。警察に来た当初はその絵を見上げると景色は私の良心
に一緒にほほえむものだったが、その景色は以後、悲しげな表情さえあらわした。代用監
獄の電灯もすべて輝きを失っていた。物の色はもとのままだったが、以前と違って物すべ
てのなかに生命が失せていた。食物をみるとむしろ吐き気がした。

 私と顔を会わせるすべての人が、私を犯人にデッチ上げようと必死になっているように
みえました。人権侵害団はしきりに言いました。巌が犯人だと世間では皆思っていると、
聞き込みにいくと袴田が犯人だと皆言っていると。私はこのような事を繰り返し聞かされ、
この社会全体が私を抹殺しようとしているのだと思わざるを得ませんでした。私は見るも
の、触れるものすべてが恐ろしくてなりませんでした。終日ビクビクしていました。ある
夜、私は涼を感じました。そして爽やかな風を覚えると途端に、ムシ風呂に閉じ込められ
るのです。もうろうとしているとまた涼風が吹き込むのです。私はムシ風呂に入ったり出
たりしているのだと思いました。ひょっと気がつくと私の顔を悪魔がのぞいていました。
戦りつを覚えて手の平で顔をおおいました。私は人類が逆に滅びるのだとその時思いまし
た。そうでなかったら罪なき私の顔を悪魔がのぞくはずはないと思ったからです。前方の
一箇所が真っ赤になっていました。あれは富士山が燃えているのだと肌で感じました。そ
れは日本の終わりをつげているようでした。誰かが私の顔を冷たいタオルで拭きました。
その何者かは、あやつり人形みたいでありました。何もかも不自然で奇妙でありました。

 何もかも不自然で奇妙であった。またぞろ繰り人形が動いて花瓶を前に置いた。無色の
花がさしてあるなと思った。誰かが奇麗だろうと言ってわたしの前に押し出した。私はこ
の花は枯れそうな魂だなとみた。親類の魂ではないか。皆、直接、間接的拷問にかけられ
て泣いているのだ。とても悲しかった。光りがチカチカとゆれていた。天から星がおちて
くるに違いないと思った。朝になっても太陽は昇るまい、昨日が太陽の照る最後の日であ
ったのだ。
 机のろうそくに火が点けられた。これが燃え尽きるとわたしは死ぬし、世界は滅びるの
だと思っていた。


袴田巌さんの獄中日記です。 
多くの手紙がご家族、友人知人のもとに届けられ、確定後も、生きる証として、また、無実の証として、毎日の日記がご家族のもとに届けられている。
  


23:37をこわれたグライダー at 23:37Comments(2)袴田日記

2007年07月08日

チャンの祈り  息子への想い

(1982年)
 12月19日
 チャンは、決して本件の真犯人ではない。チャンが今まなじりを決して一歩一歩進んで
いる道は正義で唯一のものであり、今生の人間の尊厳を守る正しいことであるがゆえに、
わが息子であるお前も父を理解しなければならないのだ。とは言っても、この身捕らえら
れたゆえとはしても、お前を育てる事もできなかったこの父を無条件で信じなければな
らないなどと無理強いする考えは毛頭ない。だがお前は私の息子であった。血を分けた親
子の間柄である以上、父が直面している社会的状況と厳格な歴史の事実を凝視し、清く正
義に立たねばならない。恐らく悲しみのみ多い世間で、後指を指されながらもひたすら耐
え、お前は育った。それゆえ、人間対人間の、いや、親子としての関係さえも放棄抹殺さ
れなければならなかったのかも知れない。確かに親子としての関係としては、単にお前を
もうけ、生んだ父としてあり、お前を立派に成人させる何の力も持ちえぬ現状は、世の親
として痛恨事であるという活字の上での責任を感じているに過ぎないのかも分からない。


 お前は、この世に生まれて間もなく世の荒波にさらわれた。世間の酷と厳しさを体で知
るために生まれた一つの悲しい星だ。だからお前をはぐくんでくれた暖かいお婆さんの心
と学園だけがお前の学びの場であったと思ってはならない。差別を持って罪なき人間を縛
っているこの世代の誤解のなか、お前も一度だけ来たことのあるかんごくのほこりと汗ま
みれのなかで、不断に身悶えているチャンの生命、その生命の尊厳は何であり、その最大
の願いは何であり、今日どのように打ち砕かれているか、あるいは今後はどのように実を
結ぼうとしているのか、どのように花咲かせ実を結ばせなければならないか、こうした課
題、問題意識を袴田巌を救う会並びに袴田巌救援会の現実からくみ取っていかねばならな
い。そしてこれと真向から取り組んで生き貫く人生こそ、人間として偉大さの成就が保証
されるのである。私は今度の濡衣でお前の面倒をみてやることができなかった。本当にす
まなく、悔しくてならない。今も痛烈な無念で肌あわだっている。そして誤判による死刑
判決という恐るべき呪われた姿で、緊張と危機にさらされた哀れな市民の姿をお前に直接
的にみせたという点においては、これこそ父たる私が全身全霊で示すことができた、唯一
最大の教育ではなかったか?

袴田巌さんの獄中日記です。 
多くの手紙がご家族、友人知人のもとに届けられ、確定後も、生きる証として、また、無実の証として、毎日の日記がご家族のもとに届けられている。
  


18:00をチャンの祈り  息子への想い at 18:00Comments(4)袴田日記

2007年07月06日

THE JAPAN TIMES


2007年7月4日 THE JAPAN TIMES に 先日のニュースが載りました。
人権大国であるアメリカも注目してきました。  


05:00をTHE JAPAN TIMES at 05:00Comments(0)袴田事件

2007年07月02日

袴田巌君 面会求める

袴田巌君への面会求める

今、福岡に帰ってきました。
袴田君に面会を求めましたが、駄目でした。
お姉さんが「熊本裁判官を知ってるか」との問いに「知っている」と答えたそうです。 
そして、私が会いたがっていると伝えてもらうと「私も会いたい」と言ったそうです。

明日、ズームイン朝に出ます。


【関連ニュース】
41年前に起きたいわゆる「袴田事件」をめぐり、1審を担当した元裁判官が、袴田死刑囚と面会するため東京拘置所を訪れました。死刑を言い渡した側の元裁判官が死刑囚に面会を求めるのは、極めて異例のことです。

 静岡県で一家4人が殺害されたいわゆる「袴田事件」で、裁判の1審を担当した元裁判官の熊本典道さん(69)が、2日午前10時すぎ、元プロボクサー、袴田巌死刑囚(71)に面会するため、死刑囚の姉・秀子さんらとともに東京拘置所を訪れました。

 熊本さんは今年3月、評議の秘密を破り、「自白の信用性は低く無罪だと思っていた」と証言。事件からちょうど41年目を迎えた6月30日、事件現場を訪れました。

 死刑判決を言い渡した側の元裁判官が、死刑囚と面会を求めるのは極めて異例ですが、2日は接見の許可はおりませんでした。(02日11:34)


■TBS
■テレビ朝日  


23:30を袴田巌君 面会求める at 23:30Comments(3)袴田事件